大阪地方裁判所 昭和39年(わ)530号 判決 1968年8月26日
主文
被告人は無罪。
理由
本件公訴事実の要旨は、「被告人は、第一、昭和三八年一一月二日午前二時二〇分頃、事業用普通乗用自動車を運転し、堺市鳳東町四丁三八八番地先道路を時速約四〇キロメートルで北進中、前方注視義務を怠って進行した過失により、折柄同所に泥酔して倒れていた芦田弘(当時二三才)に自車前部を接触させ、よって同人を頭部の挫滅等に基づく外傷性ショックにより即死させ、第二、前記第一記載の事故を惹起したのに、直ちに運転を停止して負傷者を救護する等法令に定められた必要な措置を講じなかったものである。」というのであり、右公訴事実に対する被告人の弁解の要旨は、「被告人は、今橋タクシー株式会社城東営業所にタクシー運転手として勤務しており、昭和三八年一一月一日は午前一〇時頃から自己専用のタクシーである一九六三年式いすずベレル(大五き一〇―四〇号)を運転して営業に従事した後、翌二日午前一時一五分頃妻の経営するスタンド「小静」(大阪市南区坂町三一番地)へ赴き、同日午前一時二五分頃同店の馴染客岸田義信及び北川泰尾を乗車させて同所を出発し、同日午前二時頃右岸田を和泉市池上町五二六番地の一の同人方に送り届け、次いで、右北川を同人の自宅迄送り届けるべく同日午前二時一五分頃同所を発進し、大阪和泉信達線道路を時速約四〇キロメートルで北進し、程なく前記公訴事実記載の事故現場に差しかかったところ、右公訴事実記載の被害者が轢き逃げされたと思われる状況を目撃したが、急ブレーキをかけたりすると後部座席で眠っている右北川が倒れて負傷するおそれがあるので被害者の死体や肉片の轢過を避けてそのまま進行し、警察に速報するため電話を探して北進を続けた。」というのである。そこで検討するに、右公訴事実記載の日時、場所において右公訴事実記載の被害者芦田弘が何者かによって轢き逃げされたことは本件証拠上明らかであるが、右被害の発生したのは深夜であって、目撃者は皆無であり、而も、被告人は当公判廷においては勿論捜査段階においても終始犯行を否認し続けているので、本件につき被告人の有罪無罪を決するには結局間接証拠の検討に頼らざるを得ない。そこで、以下この点につき検討するが、先ず最初に積極的間接証拠の検討から始めることとする。
(一)、被告人運転の自動車に対するルミノール試薬及びヘモグリーン試薬による検査の反応について
大阪府警察科学捜査研究所技術吏員中原輝史及び同勝連紘一郎作成の鑑定書によれば、本件事故当時被告人が運転していた自動車にルミノール試薬による発光反応検査及びヘモグリーン試薬による呈色反応検査を施したところ、車体外側の左側下部の一部、フロントバンパー左側部、左前フェンダー内側部、右運転席ドア付近の一部、車内のハンドル及び運転日誌挾み周辺部、助手席マットの一部等に陽性反応があらわれたことが認められる(なお、第四回公判調書中証人勝連紘一郎の供述部分によれば、本件事故当時被告人が履いていた靴の裏にも右のような検査の結果陽性反応があらわれたことが認められるが、この点については、被告人は本件事故後押収される前に靴の裏の半張りを張り替えた旨供述しており、右事実を否定する証拠はない)。然しながら、第四回公判調書中証人勝連紘一郎の供述部分及び第六回公判調書中証人松倉豊治の供述部分によれば、ルミノール試薬又はヘモグリーン試薬による検査は血液予備検査と称せられるものであって、ルミノール試薬による検査では自動車等に使用される機械油等によっても陽性反応があらわれることがあり、ヘモグリーン試薬による検査も鉱物性物質、植物性物質等により陽性反応を呈することがあり、右両試薬による検査の結果が陽性であったからといって直ちに血液の附着を証明することはできず、本件においても血液の附着は証明されていない。尤も、右両検査の結果が陽性であれば一応血液の附着の疑いは生じるが、本件事故直後多量の血液の飛散する本件事故現場を自動車で通過すれば車体の外部に血液の附着することは当然考えられるところであり、而も、本件事故後事故現場を通過したと思われる車両は相当数存在する筈であり、現にこれに該当する光陽タクシー株式会社の石川哲夫運転のタクシーにもルミノール試薬による陽性反応があらわれているのであって、被告人の車の車体外部に血液の附着が疑われるとしても、そのことは被告人の有罪を証明する証拠の価値としてはそれほど高いものではない。なお、被告人の車の内部に前記検査による陽性反応が認められた点は、前掲中原及び勝連作成の鑑定書の指摘する如く、被告人が被害者を轢過した後車外に出て道路に平行状態になっていた被害者の死体を道路に直角に近い状態に移動させたと想定して始めて意味を持つものであり、捜査官も捜査当時そのような疑いを抱いていたようであるが、事故後被害者が道路に平行状態に倒れていたという右想定の前提事実自体疑問である。即ち、前記中原及び勝連作成の鑑定書は、本件被害者は加害車両のサイドコントロール下端突起物にジャンバー背部をひっかけられて引きずられたもので、このような状態で引きずられたときは被害者は道路に平行に近い状態になっていなければ不自然であるとの鑑定意見を示しているが、抜山四郎作成の鑑定書によれば、同鑑定人は、人体が路上をすべる場合には身体はすべり方向に直角になるのが安定な姿であるとし、竹ひごと鉛筆による二種類の実験を重ねてこのことを証明し、中原らの右鑑定意見に有力な批判を加えており、又、藤原良造作成の鑑定書によれば、同人は、本件のような場合に被害者の体位が一様に路面と直角或いは平行に近い状態にならなければならないという理由はないとして右両鑑定の意見に疑問を投じているのであって、本件被害者が事故後道路に平行状態で静止していたとする右前提事実は大いに疑問の存するところである。しかのみならず、被告人は本件事故当日の勤務終了後に自動車を洗っており、その際靴の裏に稀薄ではあるが血液が附着し、その血液が車内のマットに附着することも可能であることは前記松倉証人の指摘するところであり、又、ハンドルや運転日誌挾みには弁護人指摘の如く指の怪我による血液附着や唾液等による陽性反応も考えられないことはない。
(二) 被告人運転の自動車のフロントエプロンの擦過痕について
前掲中原及び勝連作成の鑑定書には、被告人の車のフロントエプロンに印象されている擦過痕と被害者着用のジャンバー右脇チャック金具に印象されている痕跡を比較顕微鏡で対照すれば、チャック個有の特徴条痕二〇ヶ所が符合するので、右フロントエプロンの擦過痕は右ジャンバーのチャックにより印象されたものと認められるとの鑑定意見が記載されている。然しながら、鑑定人抜山四郎作成の鑑定書及び同鑑定人に対する尋問調書によれば、同鑑定人は、右中原ら作成の鑑定書において比較対照されているフロントエプロンの擦過痕とチャック金具の痕跡との間にはひいき目にみても、二、三の点で一致点が認められるだけで、他は一致しているとは認められず、仮に二〇ヶ所の一致点が認められるとしてもそれ以外のヶ所に不一致点が認められる以上この両者は別物と判断せざるを得ないであろうとの鑑定意見を出している。当裁判所も右中原ら作成の鑑定書に添付されている右両痕跡の拡大写真を仔細に比較対照してみたが、右鑑定書の指摘する一致点は甚だあいまいであり、写真の不鮮明さも手伝ってその一致点を確認し得ない。抜山鑑定人に対する尋問調書によれば、同鑑定人も右拡大写真を何人かの第三者に見せて一致点を探させたが一致点を見出した者は一人もなかったとのことである。従って、前記中原らの鑑定書の記載は直ちにこれを措信し難く、むしろ、この点については右抜山鑑定人の鑑定意見に左袒せざるを得ない。検察官は指紋対照の例を引用し、本件のような擦過痕の鑑定についても何点かの特徴点が捕えられれば両者の間の同一性を認めるべきである旨主張するが、検察官設例の指紋対照の場合でも何ヶ所かが一致し他は比較できないという場合ならともかく、一致点以外の部分は不一致であるという場合にまで同一性を認めることはできないことは抜山鑑定人指摘のとおりである。尤も、抜山鑑定人も他の実験方法により前記フロントエプロンに印象されている擦過痕が前記チャック金具によって生じ得る可能性は認めているが、その確実性は低いとの鑑定意見を示している。
(三)、被告人運転の自動車のスタビライザーの脱落と本件事故現場における路面の擦過痕について
前記中原及び勝連作成の鑑定書には、被告人の車のスタビライザーはその取付部が破壊されて脱落しており、その破損状態は極めて最近のものと思料されるし、又、その取付部は右側二ヶ所は完全に取付金具が破壊されて開かれており、左側の外側の金具はやや開きかけ、内側の金具は完全に開き、而もその下側の部分は下方にこね曲げられた状態になっているが、これはスタビライザー左側に被害者が接触し、その衝撃によりその取付金具が破壊され、スタビライザーの右側が脱落して路面に擦過痕を印象し、それに伴って左側取付部がこねられてスタビライザー左側部分も脱落したものと推定される旨の鑑定意見が記載されている。これに対し、鑑定人抜山四郎作成の鑑定書によれば、同鑑定人は、本件事故現場における路面の擦過痕は被告人の車のスタビライザー脱落の際これによって生じ得る可能性はあるが、スタビライザー取付部の前記破壊状態が生じるには自動車に向って右上方から押す力以外には考えられず、被害者の頭部の衝突がこれに該当するかも知れないけれども、スタビライザーの取付金具を開くには相当強い力が必要であり、頭部が挫滅することによってこの金具が開くに十分な力が加わり得るか否かは不明であり、又、前記路面の擦過痕の形状からすれば右擦過痕はスタビライザーが自動車に対し右前方上から左後方下に向ってその左端(進行方向に向って)が路面に当って生じたものと考えられるが、スタビライザーの左端が路面に落ちただけでは固いコンクリート路面に本件のような長い擦過痕を印象することはできず、このような長い擦過条痕を印象するには上方に重い物体があって下端を路面に押しつけるなどの作用が必要であり、被害者の身体がこのような役割をしたであろうともいえるが、その確率は小さい旨の鑑定意見を示している。そこで、右両鑑定を比較してみるに、前記中原ら作成の鑑定書中の鑑定意見はスタビライザーの取付金具の破壊状態から常識的に結論を出しているが、その理論的裏付がなされていない点に難があり、後者の抜山鑑定人の鑑定意見は種々の力学的実験を重ねた上での理論的な鑑定である点において有力な鑑定意見と思われる。殊に、抜山鑑定人が被害者の頭部の挫滅によってスタビライザーの取付金具を開くに十分な力が加わり得るかどうか不明であると指摘している点は無視し得ない重要な点であり、前記中原ら作成の鑑定書もこの点について何らの解明もなされていない。≪証拠省略≫によれば、スタビライザーは厚さ四ミリの鋼板に直径八ミリのボルト四本で締めつけられており、相当強い外力が働かないと脱落しないものと認められるから、脱落可能な力の程度が解明されない限り右中原ら作成の鑑定書中の鑑定意見も信用性を取得し得ないであろう。検察官は、この点につき、スタビライザーは脱落直前のものもあり、現実にはさ程の衝撃を要しないで脱落する旨主張するが、本件スタビライザーが脱落直前の状態にあったと認めるべき証拠はなく、むしろ、本件スタビライザー取付金具の前記破壊状態からすればスタビライザーは脱落直前の状態ではなかったものと推認せざるを得ない。なお、右両鑑定はいずれも前記路面の擦過痕は本件スタビライザー類似の鉄棒により印象可能であることを是認しており、このことは、本件スタビライザー取付金具の破壊状態が極めて新しいことや前記路面の擦過痕が比較的新しいことと相俟てばかなり有力な積極的間接証拠となり得るかも知れないが、前記の如くスタビライザー脱落の可能性が証明されていない以上右事実を特に重要視することはできない。
(四)、被告人運転の自動車のタイヤ痕と本件被害者着用のズボン及びジャンバーの痕跡の比較について
大阪府警察本部鑑識課員泉喜代志作成の鑑定書によれば、同人は、本件被害者の革ジャンバーの痕跡(以下痕跡(1)と略称する)、ズボンの右股側ひざ関節附近の痕跡(以下痕跡(2)と略称する)及びズボンの左ひざ外側の痕跡(以下痕跡(3)と略称する)はいずれも被告人の車の左前輪を除く他の車輪(横浜タイヤY91)若しくはこれと同種同型のタイヤにより印象されたものであるとの鑑定意見を示しており、京都府警察本部鑑識課員藤原良造作成の鑑定書によれば、同人は、痕跡(2)はブリジストンMS型タイヤによる痕跡であり、痕跡(3)は被害者が車両に引きずられているうちに生じた路面との擦過による痕跡であり、痕跡(1)は横浜タイヤY91型により印象されたものであるとの鑑定意見を示し、鑑定人抜山四郎作成の鑑定書によれば、右痕跡はいずれもタイヤ痕ではない旨の鑑定がなされている。ところで、≪証拠省略≫によれば、同人の鑑定の根拠は、痕跡(1)乃至(3)はいずれも不鮮明で変形しているものもあるが、これは一応タイヤのショルダーの模様と考えられ、五ミリ間隔の模様があるところからすれば横浜タイヤY91若しくはこれと同種類のものと思われるというのである。これに対し、鑑定人抜山四郎は同人作成の鑑定書及び同鑑定人に対する尋問調書中において、「(一)、痕跡(1)乃至(3)は平行の線ではなくいなづま型即ち「え」の字型になっているが、タイヤのショルダーの模様なら少くとも一、二ヶ所平行な線が見える筈である。(二)、一般にタイヤ痕が印象される場合にはトレッドによる印象の方がショルダーによる印象より明瞭に残る筈であるのに、右資料にはトレッドの印象が全く見当らないし、又、トレッド部分とショルダー部分との境に条痕が印象される筈であるのにこれも見当らない。(三)、前記泉の鑑定によれば、痕跡(2)及び(3)はズボンの縦縞に平行なものと直角なものであり、このような二ヶ所にショルダー模様が印象されることはあり得ない。(四)、仮に痕跡(1)乃至(3)がタイヤ痕であるとしても、被害者は印象の瞬間には地面とタイヤに挾まれて静止し、その後自動車によって動かされない限り被害者が略上に横たわっていた最後の位置が即ち印象された位置でなければならないが、痕跡(3)を見るとこれは車が脚と平行に通過した印象である筈であるから、本件被害者が事故直後道路に直角に倒れていたことと矛盾することになる。」などの疑問を投じ、これらの痕跡は被害者がコンクリート路面上を引きずられたか或いはすべった際に路面と身体との間に挾まれてしわができ、その凸部がコンクリートですれてできたものであると結論付けている。ところが、前記藤原良造は、同人作成の鑑定書及び当公判廷における証言中において、痕跡(3)は数条の線条痕が略々同じ方向にあらわれているので一見タイヤのショルダーによる痕跡と見られるが、その各条痕には関連性が見られず、条痕に長短が甚しい上に濃淡が著しいし、ゴム製品であるタイヤの痕跡としては印象が尖鋭すぎる部分があり、横浜タイヤY91のショルダーによってはこのような長い擦過痕状の印象はできる筈はないから、これは路面凸部との擦過による痕跡であって、タイヤ痕ではないとして前記泉喜代志の鑑定を批判すると共に、前記抜山鑑定人の投じた疑問に対し、「(一)、自動車と人体の接触又は轢過の場合のタイヤ痕は瞬間的に印象されるから正常な印象は少ないが、タイヤ痕が印象されるときは一瞬被害者は静止の状態となり、且つ、滑平化現象を生じて部分的ではあるが正常に近い印象が残される。この場合ショルダーの印象が一概に平行な線になるとは限らないが、少くとも痕跡(2)にはショルダー痕による平行な七本の線が印象されている。抜山鑑定人の鑑定の如く、痕跡(2)がズボンのしわ痕とするならば、このような等間隔の七本の平行した規則的な印象が生じる筈はなく、これはブリジストンMS型タイヤの接地面から約四センチメートルの部位に当るショルダー(B)部(同人作成の鑑定書添付の鑑定写真第六図参照)により修飾印象されたものである。又、痕跡(1)はタイヤにより滑平化した際の状態を復元した上検討してみると、トレッドとショルダーとの境界に両パタンの端部による線条痕が印象されており、その左側にはトレッドのノンスキッドによる痕跡も見受けられるし、横浜タイヤY91のタイヤ痕の形状及び計測値も一致するので右痕跡は横浜タイヤY91により印象されたものと認めざるを得ない。若し痕跡(1)が抜山鑑定人の鑑定のような原因によって生じたものであるとするならば、革ジャンバーのしわの凸部にこれを理由付ける擦過状の痕跡又は損傷が形成されている筈であるのにそのような形跡は見当らない。(二)、一般的常識的にはタイヤ痕による印象はトレッドによる印象がショルダーによる印象より明瞭に残るといえるかも知れないが、実際にはその反対である。タイヤのトレッド部分は常時路面抵抗を受けて走行しているから土砂の付着は少いのに対し、ショルダーは路面に直接影響を持たないから人体が轢過された場合のタイヤ痕は一般的にショルダーの印象がトレッドの印象より明瞭な場合が多い。このことは人体を完全に轢過した場合柔軟性のある人体が受ける車重の負荷はトレッド部によるよりもショルダー部による方が大きいことにも原因の一端がある。(三)、被害者が最終的に路上に横たわっていた位置が即ちタイヤ痕の印象された位置であるとの抜山鑑定人の考え方は痕跡(1)及び(3)の印象角度と状況からみて本件の場合は妥当しない。」と反論している。そこで、以上三鑑定の当否につき検討するに、先ず痕跡(3)が、タイヤ痕の印象であるかどうかについては、泉喜代志の鑑定がこれを肯定するのに対し、抜山四郎及び藤原良造の各鑑定はこれを否定し、藤原良造の否定の根拠も合理的と考えられるので痕跡(3)についてはタイヤ痕であることを否定するのが妥当であろう。次に、痕跡(1)及び(2)にはタイヤのトレッド部の印象が殆ど見当らない点については、藤原鑑定の指摘する如く実際の場合にはトレッドよりもショルダーの方が明瞭に印象されるというのであればこの点は一応藤原鑑定に従わざるを得ないが、泉鑑定の指摘する如く両痕跡は共に不鮮明であって一見してタイヤ痕の印象であるとは確認し難い。殊に、痕跡(1)は抜山鑑定の指摘する如く条痕がしわ痕特有の「え」の字型であって不期則であり、痕跡(2)の条痕は大体等間隔であって平行線であるといえなくはないが、間隔の異なるヶ所もあり、条痕の先端はしわ痕に特有な尖鋭な形をしていて条痕の長さも一定せず、藤原良造作成の鑑定書添付の資料写真の殆どがタイヤ痕を忠実明瞭に印象しているところからしても痕跡(1)及び(2)がタイヤ痕であると断定するにはいささか抵抗を覚える。尤も、藤原鑑定の指摘する如く、若し痕跡(1)がタイヤ痕でなく擦過痕であるとするならばそれを理由づける擦過による損傷がある筈であるのにそれが見当らない点や、痕跡(1)にはトレッドとショルダーとの境界に両パタンの端部による線条痕らしきものが印象されており、その左側にはトレッドのノンスキッドによる痕跡らしきものも見受けられるところからすれば痕跡(1)はタイヤ痕であるといえるかも分らないが、然し、どの程度の確実性をもってそのように認め得るかは疑問であり、同様に痕跡(2)も条痕が概ね規則的であるところからすれば一応タイヤ痕であるという見方も成立するかも分らないが、その確実性にはやはり限界があろう(なお、抜山鑑定人の投じた疑問点(三)は痕跡(3)をタイヤ痕と認めない以上問題とならないし、疑問点(四)も痕跡(1)及び(2)が時を異にして前輪及び後輪により二回に亘って轢過され得る可能性が否定されない限り致命的疑問点とはなり得ないであろう)。更に、痕跡(1)及び(2)が仮にタイヤ痕であるとしても、泉鑑定ではいずれも横浜タイヤY91のタイヤ痕だとするのに対し、藤原鑑定では痕跡(1)は横浜タイヤY91の痕跡だが痕跡(2)はブリジストンMS型タイヤの痕跡だという点に喰い違いがあり、痕跡(2)の条痕の間隔には五ミリの部分の外に約一一ミリの部分も見受けられるし、又、条痕の長さがブリジストンタイヤMS型の条痕より長いものも存在し、痕跡(2)がブリジストンタイヤMS型により印象されたものかどうかもその確実性に疑いが残る。仮に、痕跡(1)及び(2)のタイヤ痕が横浜タイヤY91又はブリジストンタイヤMS型と同種同型のタイヤにより印象されたものであるとしても、同種同型のタイヤを使用している車両は被告人の車以外にも多数存在する筈であり、本件事故当時現場を通過した車両中にも存在するかも知れない。
(五)、本件被害者と加害車両の接触から轢過静止に至るまでの経緯について
この点については松倉豊治、中原輝史、抜山四郎、藤原良造がそれぞれ意見を示しているが、これらはいずれもそれぞれの分野からの推測意見にすぎず、証拠としての価値を認めるほどのものは見当らない。
(六)、被告人の弁解の矛盾点及び不審な挙動
(1)、被告人は、捜査官に対し当初事故現場を通った時は空車であったと供述しながら、その後前記北川を乗車させていたことを認めており、この点も疑えば疑えないこともなかろうが、この点についての被告人の弁解や≪証拠省略≫によれば、被告人は妻から「客に迷惑がかかるから客のことはいうな」といわれて深い考えもなく当初乗客のあったことを隠していたと考えることも必ずしも不自然ではない。
(2)、≪証拠省略≫によれば、被告人は、昭和三八年一一月六日捜査官の取調べに際し、車のスタビライザーは同年一〇月二八日から見ていないと供述しながら、その後の取調べに際しては、同年一月二日と四日に見たとか、昭和三八年一〇月初頃からスタビライザーががたがたしていたなどと供述を変え、又、本件事故から約三ヶ月を経た後に、スタビライザーは昭和三八年一一月六日警察へ出頭する途中大阪市水道局南側道路の凹部で落したかも分らないなどとあいまいな供述をしているが、若し被告人が本件事故の加害者であるとするならば、スタビライザーの脱落に気付いていたであろうから、この点については予め一貫した弁解が用意されていた筈であり、右のように弁解が転々する筈はない。却って、≪証拠省略≫によれば、被告人は車両検査によりスタビライザーの脱落を発見された際びっくりしたような状態でスタビライザーの脱落については全然気付いていない様子であったことが認められるのであって、この点も弁護人主張の如く捜査官からあらぬ疑いをかけられそれを晴らすための浅慮な努力をしたにすぎないと見られなくもない。尤も、前記説示の如く本件スタビライザーが脱落するには相当強度の外力の作用が必要であり、従って、スタビライザーの脱落については車の運転者は当然気付く筈であり、被告人が本件事故以外の時にスタビライザーを脱落させたのであればこれに気付いていた筈であるのに、被告人はこれを明確に証明し得ないし、又、被告人運転の車を運転したことのある他の運転手らもスタビライザーの脱落について心当りはないと述べている点は確かに被告人にとって不利な間接証拠といわなければならないが、前記の如く、被告人は昭和三八年一一月六日車両検査によりスタビライザーの脱落が発見された際スタビライザーの脱落について全然気付いていなかったものと認められるし、又、≪証拠省略≫によれば、本件事故直後被告人の車を運転したことのある同人は当時スタビライザーという部品そのものを全然知らなかった模様であり、タクシーの運転手がスタビライザーについて平素どの程度の認識なり関心を持っているかは疑問であり、これらの事情に徴すれば、右の間接証拠とても有罪の決め手とするほどの証拠ではない。
(3) 被告人は事故当日妻の経営するスタンド「小静」で前記北川らを乗車させた際業務日報に出発時刻を午前一時一五分と記載しながら、その後事務所で一時二五分と書き直しているが、この出発時刻を一〇分遅らせたところでどれ程の証拠湮滅になるわけでもなく、この点も、被告人の弁解する如く、北川らが酩酊していたため出発が遅れたので後日警察の取調べに備え正確を期するため訂正したと考えられないでもない。
(4)、被告人は本件事故当日の勤務終了後洗車しており、検察官はこの点を被告人に不利な間接証拠として挙げているが、本件事故直後多量の血液が流出又は飛散している事故現場を被告人が通ったとするならば、勤務終了後に洗車することは必ずしも不自然ではなく、これをもって証拠湮滅行為と考えなければならない必然性はない。
(5)、≪証拠省略≫によれば、被告人は本件事故後警察から押収される前に靴の裏の半張りを張り替えた旨供述しているが、右所為が証拠湮滅の意図をもってなされたかどうかは証拠上明白でない。
次に、本件間接証拠中消極的な間接証拠について検討する。
(一)、本件被害者は頭部を挫滅され、相当多量の血液が飛散し又は流出しているのであるから、若し被告人運転の車が加害車両であるとするならば、被告人の車の車体下部内側に相当多量血液が附着している筈である。然るに、前記中原及び勝連作成の鑑定書によれば、車体下部内側には僅かにスタビライザー取付部にルミノール試薬による発光反応が認められるにすぎず、この点からして被告人の車が加害車両であることに疑いがあることは抜山鑑定人の指摘するとおりである。
(二)、本件事故現場の模様や死体の損傷状況から衝突のショックは相当強度であったものといわなければならないのに、本件事故当時被告人のタクシーに乗っていた乗客北川泰尾は眠っていたとはいえ本件事故に全く気付いていない。勿論、睡眠の深度や刺激に対する反応の個人差によって差異はあるにしても、一般的には本件程度の事故においては一応ショックを感ずる筈であることは第六回公判調書中において証人松倉豊治が指摘しているとおりである。しかのみならず、若し被告人が本件事故を惹起したとすれば多年の運転経験を有する被告人としては本能的にブレーキをかけている筈であり、若しそうであれば後部座席に眠っていた北川泰尾は座席から投げ出されるなどして睡眠から目覚めることも考えられるのであって、この点でも被告人が本件事故の加害者であることには疑問がないわけではない。
(三)、≪証拠省略≫によれば、被告人は本件事故現場を通過後附近の派出所から堺北警察署に架電して事故の発生を通報し、又、通りがかりのパトロールカーにも同様の報告をしているが、このことは、或いは検察官主張の如く、やがて自己に対し捜査の手が及ぶことを懸念し弁解の資料とする意図でなされたとする考え方も不可能ではないかも知れないが、若し被告人が加害者であるとするならば、当時事故の目撃者はいないわけだし、乗客の北川も眠っていたのであるから、被告人は血液の附着している自己の車を十分洗車さえしておけば証拠も残らず、捜査の手の及ぶのを免れることも可能な筈であり、それにも拘らず被告人が警察に事故発生を通報し、而も自己の所属会社や氏名までも通報していることはむしろ被告人が加害者であることを否定すべき間接証拠ともいえるであろう。
(四)、前記説示の如く≪証拠省略≫によれば、被告人はスタビライザーの脱落が発見された際スタビライザーの脱落については全然気付いていない様子であったことが認められるから、若し被告人が本件事故の加害者であるとするならば本件スタビライザーは事故現場に放置してあった筈である。然るに、≪証拠省略≫によれば、本件事故現場は勿論その附近の空地や草むらを捜索しても遂にスタビライザーを発見し得なかったことが認められるのであって、このことも被告人の有罪を認定するについては消極的な間接証拠といえるであろう。
以上において本件における間接証拠の主たるものの検討を終ったが、そのうち積極的間接証拠はいずれも被告人が本件事故の加害者であることの可能性を証明する程度のものにすぎず、被告人が加害者であることの決め手となるほどの重要な間接証拠は存在せず、これらの積極的間接証拠を綜合勘案するとしても、被告人が加害者である疑いが強いという程度の心証が得られるのみで、被告人が加害者であることの確定的心証は得られず、むしろ、前記のような消極的間接証拠さえも存在し、又、本件事故当時事故現場を通過した車両のすべてについて捜査が尽されたわけでもない本件においては、被告人はその弁解どおり加害者ではなく、事故直後現場を通り合せたにすぎないのではないかとの疑いは依然として拭い切れない。してみると、前記第一の公訴事実は勿論、これを前提とする第二の公訴事実も犯罪の証明がないことに帰する。
よって、被告人に対しては刑事訴訟法第三三六条に則り無罪の言渡をすることとし主文のとおり判決する。
(裁判官 角敬)